mikeo_410


 文献要旨(アマルナ文書)

  アマルナ文書は、アマルナ(アケトアテン)に都があった50年ほどの間と年代がほぼ確かな楔形文字の文書です。
  この時代には、ミタンニ、ヒッタイトが有力な勢力でした。バビロニアはカッシート朝(バビロン第3王朝)の時代でした。これらの勢力の人々は、セム語と異なる言葉を話したと見られています。

アマルナのファラオ
即位名 ホルス名 備考
BC1386-BC1350 アメンホテプ3世
Amenhotep 3
ネブマートラー
Nebmaatre
BC1350-BC1334 アクエンアテン
Akhenaten
ネフェルケペルウラー
Neferkepherure-Waenre

アメンホテプ4世、後にイクナートン
ファラオの名前はアクエンアテン、
アマルナをアケトアテン(Achetaten)と慣用

BC1335-BC1334 スメンクカーラー
Smenkhkare
アンクケペルウラー
Ankhkheperure
BC1334-BC1332 ネフェルネフェルアテン
Neferneferuaten
アンクケペルウラー
Ankhkheperure
アクエンアテンの正妃ネフェルティティ
(Nefertiti)とも、その娘メリトアテンとも
BC1332-BC1323 ツタンカーメン
Tutankhamun
ネブケペルウラー
Nebkheperure
トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)で、
アメン信仰を復活させた。
前の名トゥトアンクアテンはアクエンアテンの
唯一神アトン信仰による。

  スメンクカーラーは、アクエンアテンの共同王で、アクエンアテンの第 1 王女メリトアテンを王妃とした。共同王だったのはアクエンアテンの晩年の2年に満たない期間のようです。アクアテンの死の時点では、ネフェルネフェルアテンが共同王だったと見られています。

  エジプトは百年に渡りヒクソス(アジア系)の支配を受けます。この間にエジプトは鉄器やチャリオットを導入したと見られています。第18王朝(BC1570-BC1293)は再びエジプトを統一しました。アマルナの時代は、それから二百年後に当ります。バビロン第1王朝は BC1530 ころヒッタイトのムルシリ1世によって滅びました。BC1475 頃、バビロニアを統一したのがカッシート朝で BC1157 まで続きました。
  ヒッタイトはバビロン第1王朝を滅ぼすほどの力がありましたが、バビロニアを統治しませんでした。ムルシリ1世の後のヒッタイトはハットゥシャをを失うほど衰退します。シュッピルリウマ1世はハットゥシャを回復し BC1330 ころにはミタンニを分割して支配下に置きました。この際にミタンニの支配下にあったアッシリアは独立を回復します。
  エジプトはカナンのアムル王国を中心に対ヒッタイト戦を展開しました。この経緯もアマルナ文書から知られます。また、キプロスやアナトリアの諸王もアマルナに書簡を残しました。

  ミタンニの王女タドゥキパはファラオに嫁いだことが知られ、ネフェルティティと見られることもあるようです。アクエンアテンが没すると、エジプトの女王はシュッピルリウマ1世に書簡を送り王位に着くことを要請しました。シュッピルリウマ1世は王子をエジプトに送ります。王子は生きてエジプトに着くことはなく、神官アイがファラオとなりました。 

EA 1

  アメンホテプ3世(Amenhotep 3)からバビロニアの王カダシマンエンリル(Kadashmanl)への書簡。なぜアマルナで見つかったのかは分かりません。送られていないのか、控えや下書きの可能性があるものと思います。しかし、下書きは焼成されないと考えられ、控えなら差し出された書簡に相当する数見つかるはずです。
  カダシマンは、カッシート人の王朝である、バビロン第3王朝の王です。アムル人の王朝であるバビロン第1王朝は BC1531 ころヒッタイトのムルシリ1世の攻撃によって滅亡しました。ヒッタイトはバビロニアを統治せず、カッシート朝が統一してBC1155までの四百年に渡って治めることとなりました。
  この四百年間にバビロニアは1つの地域と見られるようになりカルドニアシュと呼ばれたと言うことです。

  カラヌドリアシュの王カダシマンエンリル へ。
  ニブムアリア大王、ミズリの王、あなたの兄弟のメッセージは語る。
  わたしは平和を享受する。
  あなたはより平和を享受する。
  あなたの一族、あなたの妻たち、あなたの子供たち、あなたの有力者、あなたの馬々、あなたの兵(チャリオット)、あなたの領有する国々は平和を享受する。
  わたしは平和を享受する。
  我が一族、我が妻たち、我が子供たち、我が有力者、我が馬々、我が兵(チャリオット)、我が領有する国々は平和を享受する。

Unicode 読み 備考
EN KID enlil 先行するANと合わせて神Enlilを指すと解釈される。しかし、ANはカダシマンの一部として読まれている。
AHI IA ahi-ia hebrew:「 אחיה 」 兄弟
AHU KA MA ahukama ahu:兄弟、ka:2人称、属格
MAH RI IA mahria maharu:cofront,accept,face,oppose 1人称
MAH RI KA mahrika 同 2人称
DUN MU shulmu

Arabic:「 السلام عليكم‎ 」as-salāmu alaykum / Peace be upon you, hello
hebrew:「 שלום 」 shalom / peace, hello

LU U2 luu abundant

※MESH
  MESHは複数形を作るようですが、シュメール語の規則化どうかや、読み方は分かりません。

EA15

  アッシリアの王アッシュール・ウバリト1世(BC1365-BC1330)からファラオに宛てたアマルナ文書 EA15 にはチャリオット、馬の記述があります。
  アッシュール・ウバリト1世は、ヒッタイトが分割したミタンニの一部を攻略し、アッシリアの独立を回復した王です。中アッシリア時代の2人目の王です。

  受取人:LUGAL KUR [mi-iz-ri] (エジプトの王)
  差出人:{1}AN-A-SHUR-TI-LA LUGAL [KUR {d}a]-shur-ma

  EA15からは受取人を特定できません。アクエンアテン(Akhenaten、アメンホテプ4世、BC1353-BC1336)とされています。
  差出人は、{1}{d}A-SUR 「なにがし」で王です。BAD-DISH-BAD と記され続きは破損しています。EA16では、TI-LA と読まれています。BAD-DISH-BAD は、1文字に見え、古い字形のTIと解釈されます。LAは横の棒が1つ多く見えます。

  書簡の内容は、エジプトとの通信の再開のための使者を送り、使者がエジプトを視察することを伝えています。使者と共にチャリオット、馬、ラピスラズリのナツメの実型の装飾品が送られました。
  「1 GISH LAGABxBAD IGI_ELIN2 TA」は、「1 {GISH}GIGIR SIG TA」のように読まれ、{GISH}GIGIRがチャリオットを示すようです。
  「2 ANSHE KUR RA MESH」は、「2 sisi RA MESH」のように読まれ、sisi が馬を示すようです。
  「1 NA4 U HI NA SHA NA4 ZA KUR KUR E」は、「1 {NA4}U-HI-NA {NA4}ZA-GIN {KUR}E」のように読まれ、{NA4}ZA-GIN がラピスラズリのようです。ラピスラズリに対応するアッカド語は uqne、uqnu のようです。{NA4}ZA-GIN {KUR}Eは、uqnu sade のように読まれ、山で採れる鉱石のラピスラズリを指すようです。uqnu kure は、窯で造られる人造品を指すようです。
  チャリオット、馬は外来であったと考えられています。
  チャリオットはBC2000ころにロシアの付近で発明され、BC1800ころにミタンニからヒッタイトに伝えられたと考えられています。ヒッタイトは軽量の車輪を開発し、メソポタミアやエジプトに広がりました。シャリオットは儀礼的な意味では長い間使用されました。実際の戦闘で大規模に使用されたのは前13世紀ごろのようです。エジプトへは第2中間期にヒクソスによってもたらされたとされます。
  しかし、チャリオットを示す文字は、シュメール語の時代からあったようです。{GISH}GIGIR、{GISH}GIGIR2は、シャリオットを示す表語文字のようです。アッカド語では narkabtu と読まれたようです。
  シュメール語、アッカド語の馬は同源で sisi のようです。両者にとって外来語であるために、共通の音なのだと思います。馬が外来と言うのは、シャリオットを引いたり、騎乗する馬のことです。バビロニアでは荷物を運ぶのはロバ(アジアノロバ)でした。
  文書の記述から、ロバと馬を区別することは困難なことだと思います。
  馬はウクライナ付近で家畜化されたと考えられています。目的は食用で積雪地帯でも放牧の可能な数少ない動物だったことが理由のようです。馬が家畜化される頃には狩猟によって野生の馬は絶滅寸前だったとも言われます。野生の馬は小型で騎乗には向かなかったようです。こうした馬はバビロニアでも知られていて不思議はありませんが歴史家がロバと馬を区別してきたのかどうかは分かりません。チャリオットを引く馬が登場すると明瞭に区別されることになります。 前7世紀ごろになるとキンメリア人やスキタイ人などの騎馬民族が活躍し、騎乗する馬が明瞭になります。馬が騎乗に向くように大型化したことは確かそうです。しかし、騎乗に必須と思われるアブミなどの馬具は登場していないとされています。
  ANSHE KURは、山のロバで、古くから使用されていたのかも知れません。

EA 31

  ヒッタイトはハットゥシャを失うほど衰退しました。音信不通となったヒッタイトに代わってエジプトはアルザワにアナトリアの安定を委ねようとしたようです。アメンホテプ3世(ニムワレヤ)は使者カルバヤ(Kalbaya)を送ってアルザワの王女との婚姻をまとめ、王室セットを送って体裁を整えようとしました。アルザワの王は、書簡を伴わない使者を怪しんで、書簡 EA 32 をファラオに送ります。EA 31 は、その返信と見られています。

  ミザリの王、ヌムワリア大王のメッセージは
  アルザワの王タフンダラドゥへ語る。
  あなたと共に良好である。
  我が一族、我が妻たち、我が子供たち、我が有力者たち、我が馬々、我が兵(チャリオット)、我が領有する国々、常に、それらは良好である。
  あなたと共に良好である。
  あなたの一族、あなたの妻たち、あなたの子供たち、あなたの有力者たち、あなたの馬々、あなたの兵(チャリオット)、あなたの領有する国々は良好である。

※SIG
  IGI + ERIN2 は、SIG5 や SAG10 の名前があるようです。SIG-ni はシグニのように読まれたと言うことだと思いますが、Unicode の NI は、be、dig、sal、zal でもあります。

  1. アメンホテプ3世(BC1386-BC1349)からアルザワの王Tarhundaraba へ(アマルナで見つかる訳は知らない)
  2. EA32の応答とされる。根拠は分からない。
  3. 両方の王の名まで記されている。アルザワの王は大王でない
  4. 私(ニムワレヤ王)はイルサパ(Iršappa)にメッセージを託した。
    「結婚のために私の元へ案内される娘に会って頭に香油を注ぐ」
  5. 私は黄金の輝きを1セット送った。
  6. 私は要請の通りにする。要請の手紙を受け取れば、それらを送る。
  7. あなたの使者と共に私の使者を一度返して、”bride-price” を持って行ってほしい。
  8. Gasgas(カスカ人)を連れてくるように
  9. ハットゥシャは音信不通らしい
  10. 私はイルサパに正式に託した

※贈り物
Iršappaが持参した贈り物なのか、kušata(bridal price)なのかはわからない。

品目 数量 備考
KÙ.SIG
1 KUŠ ḫa-la-li-ya
20 MA.NA 金
4.2kgから9.9kg の金
メソポタミアの単位 1 Sekel = 8.3g
1 MA.NA は、 25 Sekel とも、60 Sekel とも。
KUŠ ḫa-la-li-ya は、革製(KUS)の袋のようなものが想定されるらしい。
ḫa-la-li- は、精製されていることを示す。
GAD.SIG
真麻の衣類
3 GAD(リネン)、SIG(良好な衣類)
TUG gu-ea SIG
チュニック
3 TUG(衣類) gu-ea
チュニックと訳されるが、あらゆる衣類がチュニックで、適切ではないようだ
GAD ḫu-uz-zi 3 リネンの何か(フージ)
GAD ku-ši-it-ti-in 8 リネンの何か(クシチ)
GAD an-wa-al-ga-an 100 リネンの何か
GAD ḫa-ap- 100 リネンの何か
GAD-aš pu-tal-li-ya-aš-ša 100 リネンの何か
Ì.DÙG.GA
香油
4 NA4 KUKUBU GAL
石の容器 大4つ

シュメール語の辞書には、i(oil)、du-ga あるいは dug-ga (香る、快適になる、甘くなる)
土器の壷と同形の石の壷はあったようだ

Ì.DÙG.GA
香油
6 NA4 KUKUBU
石の容器 ? 6つ
GIŠ GU.ZA GIŠ ESI
椅子(黒檀製)
3 脚 šar(華麗な)-pa(翼) BÁ-NA(幾何学模様)-A KÙ.SIG(金(黄+銀)) GAR.RA(組立式)
輝かしい黄金の幾何学模様の翼が付く椅子(シュメール語の辞書で)
GIŠ GU.ZA ŠA GIŠ ESI
椅子(黒檀製)
10 脚

IŠ-TU(象嵌) KA×UD.AM.SI(象牙。Akk : sinni piri)
象牙の象嵌のある黒檀の椅子

GIŠ ESI
黒檀材
100 aš-šu-li
beams of ebony as a token of good will.

※石の容器
石の容器は、エジプトの得意分野だったようです。「石灰石、石材

EA 32

  アルザワの王Tarhundaraba からアメンホテプ3世(BC1386-BC1349)への書簡と見られていますが書き出しの部分は破損しています。
  アメンホテプ3世は音信不通になったハットゥシャに代えてアルザワとの関係を築こうとして使者を送ったようです。使者カルバヤはファラオの書簡を携えていなかったようです。
  この書簡の返信として、EA31が書かれたと考えられています。
  この書簡は、書簡が使者によってもたらされるもので、口上との関係がどのように考えられていたか示しています。また、書記間の通信文が付けられていることも重要です。アルザワの書記はエジプトの書記の状況を良く知っているようです。エジプトから派遣された書記なのかもしれません。この付記によって、EA31 と EA32 は、ヒッタイト語の書簡とされます。

  1. 「あなたの使者 Kalbaya はこのように言った」から始まる。
  2. エジプトからアルザワへは、書簡でなく使者の口上だった
  3. カルバヤ(Kalbaya)がアメンホテプ3世の言を正しく伝えているか分からない
  4. アメンホテプ3世が真に娘を望むなら与えないはずはない
  5. 速やかにアルザワの使者と共にカルバヤを書簡と共に再訪させてほしい
  6. 付記が付いている。読み手の書記に宛てたもので、
    1)書記への讃賛辞、2)書簡には書記名を入れるように依頼、3)書簡は常に nešumnili(ネサの言葉、ヒッタイト語)で送られる。最初が賛辞かどうか良く分からないが、この手紙を読む書記への呼びかけで始まり、Nabu神とUTU(ウツ、シュメールの太陽神)が含まれる。Nabuは、書記の神で、その箇所は欠損している。聡明な書記によって読まれるようにと言う願いとも。

EA126

  この文書は、リブハッダ(Rib-Hadda、Rib-Addi)からファラオに宛てた書簡とされます。LUGAL-ri と記載された箇所があり、LUGAL が sharru と読まれ、ヒエログリフのように送り仮名を付されているように見えます。

  1. リブハッダは語る。我が王へ。
  2. 私は我が主人の足下に7度7たびひれ伏す。
  3. サルヒ(KUR MES sa-al-hi)とウガリット(KUR KI u-ga-ri-ti)から得られた情報を報告する
  4. アジル(a-zi-ru)との戦いに置いて、アジルは諸都市の支配者と結び、制海権をもっている。リブハッダは、船を送ることができない。
  5. 我が主人は、諸都市の支配者に支援を送るのに、リブハッダには支援しない
  6. 我が先祖は戦費を宮殿から支出し、我が主人は遠征軍を送った
  7. いま、駐屯軍の求めに兵は送られない
  8. アジルは私の全ての都市を取って、アジルの息子たちが支配している
  9. グバル(ビブロス)は、私の支配下にある唯一の都市となった
  10. 救出の軍を送るか、私を解雇してほしい
  11. ヒッタイトが焼き払っているのは我が主人の領土である
  12. ヒッタイトはグバルを攻略しようとしている

  この書簡にはいくつか特徴がある。

  1. KUR KI ú-ga-ri-ti7
    ウガリットが都市なら、シュメール語であれば、URU u-ga-ri-ti KI のように記される。
    それ以外は、URU u-ga-ri-ti で、KI は付かない。
    この書記にとって KUR KI は、URU かもしれない。
  2. KUR MES sa-al-hi は、シリアとされる。しかし、限定符が KUR MES で、一般には山を指すらしい。
  3. この書簡には、LUGALが10回使われ、うち1つが LUGALU-ri になっている。
    アッカド語の「王」が sharru で、目的語になる場合、語末が変化して sharri となることがあるので生じていると考えられる。
    LUGALの活用は、-ri と -ru がほとんどで、それ以外も極まれにある。 
    -ri は、-ru の2倍以上の頻度で使用される。
    理屈では、LUGALは sharru と考えられるので、-ru を送ることには意味はない。
    しかし、ヒエログリフは、表語と表音の区別に、最後の文字を送る。これと同じだと見ることはできる。 
    主格でない LUGAL は3つあり、「王の領土」、「王の黄金」と言う場合は、LUGAL のままで、「黄金を王に与える」場合には、LUGAL-ri となっている。

EA147

 テュロスからファラオへ。

 テュロスの都市名
 ティロスかテュロスか。どちらも使われているが最近は後者が多いよう。ギリシャ文字で ΤΥΡΟς 、ラテン文字は Tyrus が翻字で Tyre と綴られ英語のタイヤになったようだ。

 レバントでは、Sur、Zur のような表記だった。左図は Wikipedia にあるもので出典は分からない。楔形文字の下のルビはUnicodeの文字の名前。
 フェニキア文字から1文字目は、アアラム文字、フェニキア文字のツァデで、/sˤ/や/ʦ/の音価のよう。翻字は、CDLIが「s,」、一般的にはsの下に点を打って表されている。アラビア語をgoogle翻訳で聞くとサワラと聞こえる。
 実際にどう書かれたか見たいと考えた。

 EA147の最初の部分に um-ma a-bi lugal とあり、Abimilkuからの書簡。最初の部分に所在はない。
 裏面の最後に区切られた3行がある。
 左図は、その部分をUnicodeとsantakkuフォントで表した。ルビはUnicodeの文字の名前。
 IGI-LU は、CDLIでは、1文字と見て U3 と翻字されている。
 AMARと見られる文字は s,ur と翻字されている。「s,」は、フェニキア文字のツァデに当たる文字で、音価は/sˤ/らしい。アラビア語の「ص」は「ṣād」と言う名前で、google翻訳では「サフハ」と聞こえ、sur として良いようだ。

 U(そして)、a-nu-um-ma(今)、a-na-an-sur(私は守る)、URU Sur-ri(スウリ市)、URU ra-bi-tu(大きな市)、a-an lugal be-li-ia(王のための)

 URUだけは、Old Babylonian では、縦棒が1つなので、Neo-Assyrian (Assurbanipalフォント)で表しています。アマルナ文書の時代は、新アッシリアの時代の四百年前です。この文字は、3本の横棒と縦棒でできています。横棒の長さを問わなければ、差は縦棒が1つか2つかと言うことになります。スケッチの字形は、右のsantakkuフォントに近く、縦棒が2本です。

 AMAR(Sur)は、2回使われていますが、左図のように同じに見えません。上の図のsantakkuフォントの字形とも異なります。しかし、両端に羽の付いた横棒2本と、1つの「く」と見れば、図の右側と、santakkuフォントは同じで、「く」の位置だけが異なっています。
  図の左側は、右端のカギ型2つは、横棒と繋がっていると見做せば、同じ文字に見えなくもありません。

  1行目の a-nu-um-ma(今)は、左図のように書かれています。3文字目が UM なら、短い3本の縦棒は不要です。

 レバントには、スウリと言う都市があり、エジプトの任じた将軍(王)が軍事活動を行っていました。これがテュロスである根拠は分かりませんが、そう見なされています。

 Abimilkuですが、a-bi lugal と記されています。アマルナ文書の時代から三百年するとフェニキア文字の碑文が残るようになります。レバントでは王はm-l-kの3文字で表され、マルクやミルキなどと読まれたとされます。したがって、書簡の名前の記されるべき場所の a-bi lugal は、Abimilku とされました。
 しかし、「安比王」書かれていたとして、日本では「王」を「きみ」と訓じたので、アビノキミと読むと言うのと同じことです。「安」「比」が「あ」「び」なのは、万葉仮名に使われたことによります。日本人には「安比王」が何と読むのかは一義ではないことが分かります。漢籍にある文字列なら、書いた人がアビノキミと読んだはずはありません。

EA369

  EA369とEA370は、ファラオから、カナンの都市の統治者に宛てた書簡です。受け取りに人には LUGAL が付与されていません。
  なぜ、アマルナにファラオからの書簡が残るのかも良く分かりません。控えが残されるものなら、もっと高い割合で含まれそうです。翻訳のために残るのならエジプト語だと言うことになります。
  この書簡は、ゲゼルのミルキルに対して恩賞の品を与える物のようです。

  1. ゲゼル(gaz-ri)のミルキリ(mil-ki-li)へ
  2. あなたの王はタブレットを送る
  3. タブレットと共に、正規軍の隊長ハアンイア(ha-an-ia)と、美しい女性のカップベアラー(sa-qi-tum)を得るのための品々を送る
  4. 銀(KU-BABBAR-HA) 、 金(KU-GI-HA) 、 麻製品(GAD-MES)、 紅玉髄(NA4-GUG) 、石製品 (NA4-MES)、木製の椅子(GIS-GU-ZA)、マルバシ(ma-al-ba-si)、黒檀製品(GIS-ESI-MES)、その他の素晴らしいもの
  5. 計 160 デベン。おそらく、2.2kgの銀の価格に相当すると言うこと。
  6. 40個の無傷で大変美しいカップベアラーの用具。1つ銀40。
  7. あなたの王は、「わたしの送った命令に従ったことは大変すばらしい」と言うだろう
  8. あなたの王は太陽のように完全です。
  9. あなたの王の軍隊は、チャリオットも馬も完全です。
  10. アモン神は、あなたの王の足下に、太陽が昇り、太陽が沈む、上下の地を与えた

EA370

  EA369とEA370は、ファラオから、カナンの都市の統治者に宛てた書簡です。受け取りに人には LUGAL が付与されていません。
  なぜ、アマルナにファラオからの書簡が残るのかも良く分かりません。控えが残されるものなら、もっと高い割合で含まれそうです。翻訳のために残るのならエジプト語だと言うことになります。

  1. アシュケロン(Ashqalon)のイイディア(i-di-ia)へ
  2. あなたは、あなたのいる、あなたの王の場所を守る
  3. あなたの王は、書簡と共に、イリヤマサ(i-ri-ia-ma(-as-sa))を送る
  4. あなたの王は太陽のように完全です。
  5. あなたの王の軍隊は、チャリオットも馬も完全です。
  6. アモン神は、あなたの王の足下に、太陽が昇り、太陽が沈む、上下の地を与えた


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